2018年10月21日日曜日

無事に帰国しました

ご報告がとても遅くなりましたが、10月の初めに1年間の派遣生活を終え日本へ帰ってきました。

日仏交流コーディネーターとしてセーヌ・エ・マルヌ県に派遣され、仕事でも私生活でも、簡単にはできないような体験を幾つもさせてもらうことができました。県内の複数の教育機関での日本文化紹介や、県観光分野トップの上司の元での業務など…
何と恵まれた1年だったかと感じています。
こうしたさまざまな環境での経験が大きな学びになったのはもちろんのこと、自分と向き合う時間もたっぷりもらえてのびのび生きることができました。
日本へ帰ってしまうとあっという間に1年が夢のように感じられますが、夢では終わらないよう、今後の生き方に繋げられればと思っています。

また、私の仕事が少しでも、所属先のセーヌ・エ・マルヌ・アトラクティヴィテや訪問先学校の生徒達の日本への興味につながっていればとても嬉しいです。

ひとつ心残りとしては、ブログで書きたい話題をまだまだたくさん残したまま1年を終えてしまったことです(何にせよ投稿無精気味でございました…)
書けなかった話は、また誰かの役に立てるよう、しっかり覚えておこうと思います…

すでに後任のコーディネーターさんがセーヌ・エ・マルヌ県での新しい生活をスタートさせています。
そちらのブログも、ぜひよろしくお願い致します!
  ↓
https://laviedeseine.blogspot.com/

1年間ブログを読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました!!!

何度かすでにご紹介した、寮の部屋からの景色、最終回です!
帰国直前には満月でした!

2018年9月28日金曜日

セーヌ・エ・マルヌ県の中世都市 プロヴァン

セーヌ・エ・マルヌ・アトラクティヴィテでの観光系業務
セーヌ・エ・マルヌ県はとても大きな県です。
世界遺産にディズニーランド、アウトレット…見所もたくさんあります。
 
中でも私が特に気に入ったのは、県内にある2つの世界遺産の1つ、プロヴァンです。
中世の街並みが残る都市で、街まるごとユネスコに登録されています。
12月にはクリスマス市、そして6月にはフランス最大級の中世祭が開かれ、多くの観光客が訪れます。
旧市街の中心地

街の目印、セザール塔は12世紀から存在しています。

イベントの時にはたくさんの露店が並び、

あちこちで音楽が演奏されやダンスを踊り、

信号機は藁で隠され、たくさんの人が中世の衣裳を着て参加します。


イベントのない時期でも、たくさんの見所があります。

こちらは、中世に作られた地下空間で当時の食事を味わいながら音楽や見世物を楽しめるレストラン「バンケット・デ・トゥルバドゥール」。中世のプリンセスや騎士、農民の衣装を借りることもできます。

その他、城壁に作られたステージで鷹ショーが毎日のように開かれていて、観光客を積極的に誘致しています。
パリからは1時間半ほどの電車の旅で、日帰りで気軽に行くことができます。
パリ観光を一通りして、フランスの歴史にもっと触れてみたいという方には、ぜひ訪れてみてほしい場所です!

2018年8月31日金曜日

パリと関西、言葉の共通点

フランスはラテンの国です。
日本と比べて、日々さまざまな場所で「ラテン感」を感じますが、
そんななかでふと「関西感」を感じることもたまにあります。

まずはイントネーションが似ていること。
語尾を挙げる点などが関西弁とフランス語は近いそうです。
これは日本でフランス語の先生などから聞いたことがありましたが、実際にフランスで暮らしてみると、通勤の車内で「あ!関西弁聞こえる」と思って振り返るとフランス人しかいない、なんてことが月に1回くらいあります。

それから、小学生の頃に流行っていたテレビ番組で、「フランス人はマクドナルドを関西人のようにマクドと略す」という話を聞いたことがありました。これをずっと覚えていましたが、今も「マクド」の略はどちらの国でも健在でした!

さらに、上司の電話を隣で聞いていて気付いたのが文章の最後に良く「シェパ」という言葉を付けること。「Je ne sais pas.(知らない)」の略語で、多分自分の発言を和らげ(たり責任を避ける?)ために付けています。そういえばよく語尾には「知らんけど」を付ける関西(大阪?)の人と同じではないか!とふと思いました。

他にも電車で知らない人から気軽に声を掛けられたり、イライラの感情をスカッと表に出すのは、良く似ているなあと感じました。
…関西というより大阪ですね?

詩人ジャン・コクトーゆかりの地めぐり

もちろん南仏と地中海が見たいというのも大きかったものの、先日書いたコート・ダジュール旅の1番の目的は、フランスの芸術家ジャン・コクトーのゆかりの地をめぐることでした!
コクトーは詩人でありながら、小説家、画家、劇作家、映画監督などさまざまな顔をもっていた多彩な人です。
パリに住んでいましたが、海が好きだった彼は夏の間コート・ダジュールに数か月滞在することも何度かありました。
その間に行われた多くの創作は、今も地元で数多く見ることができます。
まずは、ニースの隣町ヴィルフランシュ・シュル・メールにあるサン・ピエール礼拝堂。
コクトーが壁画を描き修復した、漁師のためのチャペル。
この教会のすぐ後ろは海です。中に入ると、たまたまですがそこにいた数人全員が日本人で驚きました(ヴィルフランシュでは、ここでしか日本人には出会いませんでした)。
中は撮影禁止でしたが、こじんまりとした礼拝堂の壁いっぱいにコクトーが描いた素朴な絵は、確かに日本人好みかなとも思いました。

それから、イタリアとの国境近くの街、マントンにはコクトーゆかりの場所が3か所あります。
まず街中にある市庁舎では、コクトーが当時の市長に依頼されて壁画を描いた「結婚の間」があります。
これを見に行ったのですが、
本当に結婚式をしていたため、見ることができませんでした。。
おめでたいと見れなくて残念の複雑な気持ちでしたが、「おめでとうございます」と挨拶して、
またいつかの機会にと去りました…

気を取り直して、コート・ダジュール1番の(コクトーゆかりの地の)目玉、2つの美術館を訪れました。
ジャン・コクトー美術館
2011年にオープンした美術館で、波打ち際をイメージしたような涼しげな建物です(世界的な建築家による設計)。

こんな絵から…

こんな絵までいろいろ。
これは「アルルカン」という作品ですが、梯子をイメージした「建築的な」絵で、ピカソと似た芸術観で描かれています。かわいいです。
美術館には見学ツアーや映像資料などもあり、とても充実していました。

続いて、コクトー自身が開館を希望した古い方の建物、「要塞美術館」。
海辺に建っています。
外壁のモザイク画にはすべて浜辺の小石が使われています。

小さな館内。
若い頃のコクトーにも強い印象を与えた、19世紀フランスの大女優サラ・ベルナールの企画展示もありました。

ショーケースの下の床も作品。
(サンショウウオのような人のような…)
要塞美術館の横にある、たくさんの花に囲まれたコクトーの彫像。
「私はあなたたちと共にいる」という彼の言葉とともに彫られたコクトー、なぜか目をそらしているのが少し笑えました。

大学で研究したジャン・コクトーのたくさんの作品を間近に見ることができて、さらにこの旅は思い出深いものになりました。もらった休暇をしっかり役立てられたかな、と満足しながら仕事へ戻りました…!

2018年8月28日火曜日

コート・ダジュールをたどる

1週間の休暇をもらい、リヨンからさらに南へくだり、毎日せかせか進んでコート・ダジュール沿いをイタリアとの国境付近まで行きました!

やっぱりセレブの街、と感じさせる、豪華プライベートボートが並ぶカンヌの港。

カンヌ映画祭で有名なレッドカーペットももちろん素敵でしたが、旧市街の丘の上にある博物館で例の「ジャポニスム2018」企画展をやっていたことにびっくり!
 
カンヌのすぐそばにあるレランス諸島には、映画『仮面の男』のモデルとなった人が実際に投獄されていた監獄があります(その正体は今だに謎で、国王の双子、など、いろいろな説があります)。現在はアーティストによって、その部屋に壁画が描かれていました。


ニースの海岸
独特の青さはコート・ダジュールの中でも際立っていました!
いつまでも眺めていられる景色でした。
 
 
ニースからバスで15分ほど小さな街ヴィルフランシュ・シュル・メール。
どこか少し日本の田舎を思い出すような町で、一番落ち着きました。
 
その昔崖の上に要塞を築いて出来た、「鷲の巣村」とよばれるエズ村からの景色。
村の家はほとんどがアトリエになっていて、絵から雑貨から、とてもかわいいお店が並んでいます。
ここに来るまでに、哲学者ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』という本の構想を練ったという散歩コースに挑戦しましたが、「本当に構想練れたのか?」というほど険しい登山道で、村に着いた時にはバテて動けませんでした。。。
 
 
ニースの東にあるモナコ公国
とても丁寧に作られた街という印象で、街並みは少し近未来的でした。
 
街中でかなりの美男子警察が警備にあたっていたのも映画のようで不思議でした。
街の水族館に長居しすぎて、カジノと(元アメリカ人女優)グレース妃のバラ園を見に行けなかったのが心残りです…
 
 
旅の最終目的地コート・ダジュール最東端の街マントンの、旧市街
 
旧市街から見える向かいの半島はもうイタリアです。
 
1年間で、兵庫県から派遣させてもらえた機会に本当にたくさんのヨーロッパ旅ができましたが、
今回は唯一、知り合いを頼らない「自分勝手旅」としてずっと前から計画していました。
フランス自体がラテンの国で、パリでも人との距離感が日本に比べて近いことを日々感じています。しかし地中海沿いの人たちはパリ人をもシャイ、と思わせるほど、本当にたくさん声を掛けてきてくれました。気さくすぎて自分に喋りかけてくれてると気づかない時もしばしば。。
嬉しい出会いもいくつかあり、まったくひとり旅のさみしさを感じさせてくれない忘れられない旅になりました。

2018年8月24日金曜日

リヨン旅

美食の街、リヨンに行きました!
フランス第2の都市であるこの街は、フランス国内では治安も一番良いと言われる大学都市です。
『星の王子さま』の作者サン=テグジュペリの故郷としても有名です。
リヨンへは学生時代に留学していましたが、観光に集中して過ごした今回は、初めて知ることがたくさんあった旅でした。
街を歩いて、(パリに比べて…)地下鉄もどこも臭くないことに感動。。。

リヨンのシンボルは、ソーヌ川を挟んで真っ二つに分かれた、新市街のベルクール広場と旧市街の丘の上にあるフルヴィエールの丘と教会です。
リヨンの中心ベルクール広場には、馬に乗るルイ14世の像がドンと立っています。
後ろに見える小高い丘が、フルヴィエールの丘です。
 
丘の上の迫力あるフルヴィエール教会。
ここからはリヨン市内が一望できます。
 
 映画の発明者、リュミエール兄弟の映画博物館を訪れました。映写機の発展が当時の機具の実物展示とともに説明されており、当時の映像作品もたくさん見ることができます。
 
まだ「映画」という言葉ができる前の、日本語版の広告

街には2つの大きな川、ソーヌ川とローヌ川が隣り合って流れています。
どちらも綺麗な川ですが、特にローヌ川はアルプス山脈の雪解け水のためエメラルドブルーでとても綺麗です。
立ち寄った観光案内所でインターンシップ中だった韓国人の女性と仲良くなり、教えてもらったソーヌ川クルーズに行ってみました!
丘はリヨン市内のいろいろな場所から見えます。


食もしっかり堪能して、懐かしい思い出に浸った旅でした!
リヨン名物、クネル(魚のすり身をオーブンで焼いた郷土料理)

2018年8月11日土曜日

フランスの猛暑

今年の日本の夏が、これまでにないほどの暑さと湿気で本当に辛いと聞きました…
実は今年の異常気象はフランスでも問題で、今週はセーヌ・エ・マルヌ県でも37度しました。
(なんとスペインの一部地域やポルトガルでは48度という情報も?!)

湿気はそれほどないので日本に比べたら優しいものだと思いますが、大問題はクーラーがないことです。
幸い事務所の引っ越し先にはクーラーがあり、昼間は暑さをしのげますが、何故かこちらの1日の最高気温は午後2時ではなく午後6、7時にやってきます。
そのため仕事を終えて家に帰るのが辛く、映画を観に行ってみたり(お金がかかります)ショッピングセンターに逃げ込んだり…
夜中は、地震でも目が覚めない私ですが、最近は暑さで毎晩目を覚まし窓際で夜風に当たります。

さて、ニュースでも伝えられているほど深刻なのが、バスの運転手の過酷な勤務です。
ちょうど6月からバス通勤をするようになったため実際に体験しているのですが、バスにも空調がないためドライバーは直射日光と猛暑の中1日中運転をします。
労いのため路上で水を配ったり、霧吹扇風機で顔を濡らしたりしているのを見ましたが、明らかにみなさんバテています。。

昨日あたりからやっと少し涼しくなりましたが、このまま良い気温になるよう皆が願っています。

最近ずっとフランスのニュースサイトで
猛暑に関する記事のアイコンになっている、夏バテの猫
本当にこんな気持ちです
(Franceinfo より)
2003年以来最強の猛暑だったそうです。

無事に帰国しました

ご報告がとても遅くなりましたが、10月の初めに1年間の派遣生活を終え日本へ帰ってきました。 日仏交流コーディネーターとしてセーヌ・エ・マルヌ県に派遣され、仕事でも私生活でも、簡単にはできないような体験を幾つもさせてもらうことができました。県内の複数の教育機関での日本文化紹介や...